2025/05/09
エルドフェットル噴火が引き起こしたウェストマン諸島の避難
エルドフェットル山は、ウェストマン諸島(アイスランド語でVestmannaeyjar)にある最大の島、ヘイマエイ島に位置しています。1973年1月23日、エルドフェットル山が突如噴火し、アイスランドの歴史上多くの噴火がそうであったように誰もが不意を突かれました。この噴火により、島に暮らしていた5,300人の住民は一瞬にして避難民となったのです。なお、1963年の噴火で海底から誕生したスルツェイ島は、このエルドフェットル噴火の前兆とも言える存在です。スルツェイ島は、その後の生態系の変化を人の手を加えずに観察する貴重な研究対象となり、2008年にはユネスコの世界自然遺産に登録されています。
撮影:Mats Vibe Lund
エルドフェットルの地質学的な豆知識
エルドフェットルは、アイスランドに広がる火山帯の一部で、ユーラシアプレートと北アメリカプレートが引き離されている場所、大西洋中央海嶺に位置しています。
地質学的な注目ポイント:
種類: 火山礫丘(スコリア丘)火山
標高: 海抜約200メートル
形成: 1973年の噴火で誕生。噴き出した溶岩が冷えて固まり、ヘイマエイ島に新たな陸地が生まれ、島の面積が広がった
噴火の特徴: ストロンボリ式とハワイ式。溶岩の噴水や玄武岩質の溶岩流が特徴
地質環境: アイスランドのリフト帯にあたる東部火山帯上に位置

エルドフェットル山頂から広がるヴェストマンナエイヤルの眺望
1973年 ウェストマン諸島を変えた噴火
1973年1月23日のエルドフェットル山の噴火は、アイスランドの近年の歴史における最も深刻な自然災害のひとつであり、ヘイマエイ島のほぼ全住民が避難を余儀なくされました。
主な概要:
時期: 1973年1月23日未明に突然噴火。住民の多くが就寝中だった。
場所: 約1キロメートルの割れ目が町のすぐ端に出現し、直ちに避難開始。
避難: 約5,300人の住民のほとんどが一晩で避難。漁船が住民を本土アイスランドへ輸送。この日、漁船団が港にいたのは幸運だった。
溶岩と火山灰: 大量の溶岩流と厚い火山灰により町の一部が埋没。
港の危機: 溶岩がヘイマエイ島の重要な漁港を塞ぐ恐れがあったが、大規模な海水冷却作戦により進行を抑え、港を死守。この技術は、レイキャネス半島の噴火でも防護壁と併用してインフラ保護に活用されている。
噴火期間: 1973年7月3日まで続き、島の地形が大きく変貌。
この噴火はヘイマエイ島の景観を一変させ、社会的・経済的にも長く影響を及ぼしました。
そして、この危機への対応は、自然災害に直面したときのアイスランド人の強さと創意工夫の象徴として語り継がれています。
動画:ヘイマエイ島を襲った火の記録
ヘイマエイ島に及ぼした噴火の影響
エルドフェットル噴火がもたらした島と住民への影響:
被害: 数百軒の住宅や建物が溶岩と火山灰に埋まり、多くの家族が住まいを失う。
経済への打撃: ヘイマエイ島の基幹産業である漁業が、インフラ被害により深刻な影響を受ける。
港の保全: 海水による溶岩流の冷却と流れの誘導が、火山災害対策として先駆的な試みとなる。
科学的な進展: 噴火は火山活動に関する貴重な知見をもたらし、噴火予測や溶岩流の制御技術の研究が進展。

ウェストマン諸島では、今も溶岩と火山灰に埋もれた建物の姿が残っている
現在のエルドフェットルとウェストマン島
噴火からの復興と、教育・観光への活用:
観光地としての魅力: 噴火跡や溶岩原、そしてエルドヘイマル博物館が世界中の観光客を引きつける。エルドヘイマル博物館では、噴火で埋もれた家屋の発掘跡を歩いて見学できる。
継続的な監視: 将来の噴火に備え、地震活動が常時モニタリングされている。
溶岩原の熱利用: 1974年から1988年まで、溶岩に蓄えられた熱が町の全住宅の暖房に利用された。
新たな地形: 噴火によってヘイマエイ島の陸地が広がり、独自の進化を続ける地質環境が生まれた。
エルドフェットル噴火と重ねられる世界の火山噴火
エルドフェルの突如としての噴火とその影響は、他の著名な火山と比較されます。
セント・ヘレンズ山 (アメリカ、1980年): いずれの噴火も大きな被害をもたらし、周囲の地形を一変させた。
パリクティン火山(メキシコ、1943年): エルドフェットルと同様、突然出現し、その地域の地形を劇的に変化させた。
エイヤフィアトラヨークトル (アイスランド、2010年):(アイスランド、2010年): 噴火の特徴は異なるものの、どちらのアイスランドの火山も人々の日常生活に影響を与え、重要な科学的研究の対象となった。